投稿

選択的夫婦別姓制度と少子化

今日の体重は 78.5kg です。
さて、メディアでも頻繁に取り上げられ、政府が「異次元の少子化対策」を打ち出すほど注目されている日本の少子化問題ですが、この話題は非常に広範なため、別の機会に単独で取り上げたいと思います。
今日は、昨日に続いて選択的夫婦別姓の観点から、この制度の未導入が少子化にどの程度影響を与えているかについて考えてみます。
まず前提として、選択的夫婦別姓と少子化は本質的には別の問題です。しかしながら、昨日触れた「結婚」という側面では、両者に一定の関係があると考えられます。
もちろん、結婚しなくても子どもを持つことは可能ですが、結婚して子どもを育てたいと考える人が多いのも事実です。
そう考えると、結婚を選択する上で障害となっている制度、たとえば、選択的夫婦別姓が導入されていない現状は、少子化にも少なからず影響を与えていると見ることができます。
ただし、「子どもを持ちたい」と真剣に考えている人が、姓を理由にそれを諦めるというケースは、あまり多くないかもしれません。選択的夫婦別姓が未導入であることを理由に子どもを持たないという人は、そもそも子どもを持つ意志がそれほど強くないか、他にもっと大きな理由があることが多いのではないでしょうか。
とはいえ、人の考えや価値観は時間とともに変化します。結婚当初は子どもを持たないと考えていても、数年後に気持ちが変わるということは十分にあり得ます。
その意味でも、「結婚への障害」が将来的に「少子化の要因」へとつながる可能性を完全には否定できません。
したがって、結婚を望む一部の人にとって障害となっている制度があるのであれば、それを放置せず、社会全体で議論し、解決の方向へと進めることが必要だと思います。
4回にわたって続けてきた「選択的夫婦別姓」についての考察、最後までお付き合いくださった方には感謝申し上げます。ありがとうございました。

選択的夫婦別姓制度と結婚

今日の体重は 79.0kg です。
昨日、一昨日に続き、選択的夫婦別姓について考えてみたいと思います。
今日は、この制度の未導入が「結婚しない人が増えている」という社会的傾向にどの程度影響しているのか、という観点から考察します。
結論から言えば、選択的夫婦別姓が導入されていないことが障害となり、結婚を選択しないカップルは一定数存在すると考えられます。実際、いくつかの報道では、姓を変えることに抵抗を感じて事実婚を選ぶ人たちが取り上げられています。
自分の姓にアイデンティティを感じている人は決して少なくないでしょうし、一昨日述べた通り、姓を変えることで発生する手続きの煩雑さも無視できません。そういった理由から、法的な結婚よりも事実婚を選ぶという判断は理解できます。
しかしながら、事実婚には法律上の制限が多く、社会的にも完全に認められているとは言えません。本音では「本当は結婚したい」と思っている人も少なくないのではないでしょうか。
一方で、日本には古くからの「価値観」や「慣習」が根強く残っており、これが制度変更への強い抵抗となっているのも事実です。昨日触れた反対派の主張も、明文化された論理というよりは、これらの伝統的な価値観に基づく感情的な反応であるように見受けられます。
とはいえ、制度が原因で結婚という人生の選択が妨げられている人がいるのであれば、制度のほうを見直すべきです。少なくとも、それに向けた真剣な議論が必要ではないかと私は考えます。このような考え方は間違っているでしょうか?
今日は「選択的夫婦別姓と結婚の関係」について考えてみましたが、明日はさらに踏み込んで、日本の少子化の問題について触れてみたいと思います。

続 選択的夫婦別姓制度

今日の体重は 79.0kg です。
今日は少々長文ですが、ご一読いただけましたら幸いです。
さて、昨日の続きですが、選択的夫婦別姓の早期導入について、国連の女性差別撤廃委員会が4回にもわたり日本政府に勧告を行っている理由について触れたいと思います。
日本では、結婚した際に女性側が姓を変更するケースが圧倒的に多く、それが結果として女性に不利益をもたらしているという国連の見解があるのでしょう。私もこの見解は正しいと考えています。前回お伝えしたように、姓の変更によって発生するさまざまなデメリットを、主に女性が一方的に被る傾向にあるのは、明らかに不平等です。また、仮に男性側が姓を変えた場合にも、同様の不便が生じるのであれば、制度そのものを見直す必要があるはずです。
次に、昨日挙げた反対意見についてですが、まず「家族の一体感が損なわれるのではないか」という点について。これは正直、姓が違うだけで本当に一体感が失われるのか、非常に疑問に感じます。私自身、子供の頃に姓の異なる祖母や叔母と同居していましたが、家族としての結びつきに何ら違和感を覚えたことはありませんでした。もちろん、「祖母や叔母は親とは違う」との反論もあるかもしれませんが、姓の一致だけで家族の絆が決まるものではないはずです。
次に、「子どもの姓の選択で混乱が生じる可能性がある」という意見について。これも結局は“夫婦で相談して決める”という、ごく当たり前の判断で解決できる問題だと思います。夫婦は、子育てや生活において多くの重要な決断を共同で下すものであり、その中に子供の姓が加わることは特段不自然ではないはずです。もし仮に子供の意思を尊重したいのであれば、将来的に一定年齢に達した子供が自身の判断で姓を選べるようにするなど、制度面での工夫も可能でしょう。
最後に、「社会制度全体に混乱を招く恐れがある」という主張について。これは制度設計の問題であり、導入方法次第で十分にコントロールできるはずです。たとえば、マイナンバーカードという新たな仕組みが大きな混乱もなく (ある程度の混乱はありましたが) 社会に浸透していることを考えれば、選択的夫婦別姓制度の導入も不可能ではないはずです。むしろ、その程度の理由で導入を見送っているように見えるのは、誠に理解しがたいところです。
仮に「社会的なデータが不足している」というのであれば、まずはモデルケースを設けてデータを集めれば良いのではないでしょうか。議論を避け続ける理由にはなりません。
この問題、明日ももう少し考えてみたいと思います。

選択的夫婦別姓制度

今日の体重は 79.0kg です。
昨夜から降り続いていた雨も今は上がり、曇り空になりました。天気予報では午後から晴れ間がのぞくと言っていましたが、まだ晴れ間は見えていません。晴れればきっと気温は上がるでしょうが、ここ最近は雨か曇りの日が続いていたので、束の間でも陽の光が見られたら嬉しいものです。
さて、先日「選択的夫婦別姓」の問題がメディアで取り上げられていたのを見かけたので、今回はこの問題について考えてみたいと思います。
選択的夫婦別姓とは、結婚する際に、夫婦がそれぞれ結婚前の姓をそのまま名乗ることを選択できる制度のことです。現在の日本の民法では、夫婦は同じ姓を名乗ることが原則とされています。この制度が導入されない限り、日本では別姓での婚姻は認められません。
社会人経験がある方であれば、姓が変わることによる実務的な影響の多さを実感したことがあるかもしれません。姓が変わると、運転免許証や健康保険証、パスポート、銀行口座など、さまざまな公的書類の名義変更が必要になります。また、会社で使用する名刺、メールアドレス、名簿なども影響を受けることが少なくありません。
こうした不便さもあり、国連の女性差別撤廃委員会は、法的拘束力こそないものの、これまで4回にわたり日本政府に対して選択的夫婦別姓制度の導入を勧告しています。
ここまで見ると、導入に反対する理由が見当たらないようにも思えますが、反対派は以下のような懸念を挙げています。

  • 家族の一体感が損なわれるのではないか。
  • 子どもの姓の選択で混乱が生じる可能性がある。
  • 社会制度全体に混乱を招く恐れがある。

とはいえ、これらの懸念が「制度そのものを導入しない理由」としては弱いようにも感じます。個人的には、選択的夫婦別姓には多くのメリットがあると考えており、導入に向けた建設的な議論がもっとなされるべきだと思います。
どうして日本ではこの問題が長年棚上げされてきたのか。その背景には、制度というよりも「価値観」や「慣習」が根強く影響しているのかもしれません。
この話題、明日も引き続き取り上げてみたいと思います。